演題情報

特別講演

開催回
第62回・2017年・横浜
 

高齢者の人工透析とAD

演題番号 : SL-2

石飛 幸三:1

1:特別養護老人ホーム芦花ホーム

 

今は腎不全になっても,人工透析で一回しかない人生を続けることができます.
しかし人生の終焉が近づいた高齢者の中には,もうこんな思いをしてまで生きたくないと思っている人がいます.われわれは,何もしないと見捨てることになると思って,かえって最期に苦しい思いをさせていないでしょうか.今や医療の意味を考えなければならなくなりました.実は,自然な老衰の終焉は「平穏死」なのです.われわれは食べなくなります.食べたくないのです.食べなければ眠って,眠って,夢の中で静かに最期を迎えます.それなのに無理に食べさせようとして,誤嚥させて肺炎を起こします.苦しむので放っておけません.肺炎を治しても食べられないことに変わりはありません.
私は約半世紀外科医として,癌,動脈硬化と闘って来ました.それは結局のところ老衰との闘いでした.治せない場合が増えました.治そうとする意味を疑うようになりました.老いは自然の摂理です.食べられないからといって点滴や胃瘻で,体に水分や栄養を入れることと,本人が望まないのに透析を続けることが,本人の意思を尊重しないで医療を押し付ける医療への過信と映ります.これは一体誰の為なのでしょう.
古くから人間は,老いと死を受け入れて来ました.しかし医療技術が進歩し長生きできるようになると,もっと生きたい,家族も「もっと生かせたい」,医療機関は収益を増やしたい,法律でも命を伸ばす方法があるのにそれをしないと「不作為の殺人」だと言います.これでは倒錯した医療です.これは進歩でしょうか.
医療は人間のためになってこそ医療です.単に命の時間を延ばせば良いのではなく,限りある人生,生きている間の生活の質が問題なのです.それは他人が決めることではなく,本人が責任を持って選択すべきです.
親は子に命を繋いでいきます.親は事前指示(Advance Directive)を通して,最期の迎え方を通して,その時代の生き方を示します.芦花ホームでの実例を踏まえて,私なりの考えを述べさせて頂きたいと思います.

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