演題情報

特別講演

開催回
第60回・2015年・横浜
 

透析における終末期医療・ケアと望ましい死 ~豊かな生の総仕上げを目指して~

演題番号 : SL-7

大平 整爾:1

1:札幌北クリニック

 

末期慢性腎不全の確定診断と治療法が患者に説明され患者が透析を選択受諾して、この療法が開始される. 一定の安定期間を経て種々の合併症が出現・重症化し、患者は社会的死から生活上の死へ至り最終的に生物学的死を迎えることになる. 誰もが「人は死ぬ」ことを自明の理として知っているが、自分のこととして明確に自覚していないし、したくない. 人のDNAに組み込まれた生への執着は、人に死を怖れさせる. 「死に支度 致せ 致せと 桜かな」と吟じた小林一茶の心が医療に勤しむ私共のそれを投影しているかに思えるのは、終末期患者に関わった医師であれば誰もが当該患者の意向が不明瞭であるために代理判断の困難を味わっているからである. 現代社会は自己決定(権)を基盤に動いており、これに呼応して医療界も自己決定(権)を重視し生死の判断を自己に委ねるQOL主義がSOL主義を凌駕している昨今である. 「一寸先は闇がいい」・「その時が来たら考える」という流儀の人がいることを承知しているが、助死師を演ぜざるを得ない医療者は患者の意向を知っておきたいのである.「如何に生きるか・如何に死ぬか」は患者の考え置くべきことであろうが、医療側は「如何に生かし、如何に死なせるか」に心を配る. そして、双方が「死に時」を模索することに目を背けてはなるまい. とは言え、自らの行く末に対して明言するか・事前指示(書)を残すか・代理人を指名するかなどの準備を終えている人は日本では5%未満にしか過ぎない. 患者の高齢化や独り身の高齢者の増加などの社会情勢の変化は、患者と医療者との共同の意思決定を一層必要とすることになろう. 終末期医療・ケアの開始に明確な線引きを成し得ないが、日常生活における基本的動作(脱着衣・排泄・歯磨き・洗顔・歩行・摂食・入浴など)が相当に難しいか不可能になった時期をもって、いわゆる緩和医療・ケアは開始されるべきだと考える. サンダース女史が提言したようにまず身体的苦痛の可及的軽減に努め、社会的・精神的苦痛さらにはスピリチュアルなそれへと全人的苦痛への対策を練っていくことが肝要となる. 死の一瞬に尊厳があるのではなく、死へと向かう生に尊厳があるような生き方、これを医療者として支援していきたい.

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