発表

1B-010

共感不可能性を前提とした被災地間支援の方法論の実践的研究 熊本と新潟を事例に

[責任発表者] 山口 洋典:1
[連名発表者] 関 嘉寛#:2
1:立命館大学, 2:関西学院大学

目 的
 「いよいよ中越を越えた。」これは2016年5月13日、新潟県小千谷市の住民有心のまちづくり組織「塩谷分校」の定例会の際、ある参加者が発言した言葉である。何が越えたかと言えば、余震の回数である。平成28年熊本地震から1ヶ月を前に、現地に思いを馳せる語りの中で発せられたものだ。
 平成28年熊本地震では、復興の只中にある東日本大震災の支援活動と比較されつつも、津波災害に見舞われなかった点で、被害状況に大きな違いがある。一方、東北での支援者や被支援者が熊本や大分に駆けつける事例(例えば、立命館災害復興支援室や東北学院大学など)も多々生まれた。これらは、今回も熊本の支援・受援の双方が、次の災害への支援者として、「災害ボランティア文化」(震災がつなぐ全国ネットワーク, 2010)を発展・継承する端緒としても位置づけられる。
 そこで本研究では、被災地間支援の方法論について、熊本と新潟を結ぶ協働的実践から迫った。その際、災害の種別にかかわらず、突如として故郷が被災地と呼ばれることになった人々(すなわち、被災者)が、経験の個別性を自覚しているゆえに、わかりあえなさがわかりあえるという「決して共有されないということだけが人々に共有されている」構図、すなわち「共感不可能性」(渥美公秀, 2014)に着目した。

方 法
 本研究ではフィールドワーク、支援活動、参与観察、企画展示等を効果的に組み合わせた。新潟県小千谷市塩谷集落、西原村を中心に熊本県の阿蘇地区、そして代表者と共同メンバーが拠点とする関西一円を対象地として、各々の地域の人々が交流する場の創出を企図した。なお、第一・第二筆者に対しては、日本心理学会による2016年度第1回「災害からの復興のための実践活動及び研究」助成を得た。また、理論的な検討には、JSPS科研費26780485の助成を得ている。
 第一筆者は共同メンバーと共に、新潟県小千谷市塩谷集落でのアクションリサーチを重ねてきた。第一筆者は2012年から地域参加型学習の一環として田植え・盆踊り・稲刈りといった集落の日常に参画することの意義について、第二筆者は2009年から「混住化」をキーワードに有志組織の可能性について「塩谷分校」及び生活再建のために集落を離れた方々を中心にした「芒種庵を創る会」を通じて取り上げてきている。また、第二・第三筆者らは新潟から当該集落の有志が、福島県南相馬市や、岩手県野田村へと支援に駆けつけた際の参与観察を行っており、共感不可能性が発露する場面への実感を有してきたことを原体験に、エスノグラフィーを執筆した。

結 果
 フィールドワークでは学生らが田植え・稲刈り等の作業を通じて被災された方々と語り合うことで、震災復興過程の追体験の場を創出した。それらにより、改めて発災当初から現在にわたる復興過程を内省する機会が創発された。また、熊本での支援活動については、第一筆者は農業に焦点を当てた。その理由は作付けや出荷のタイミングが鍵となるため、外部者の関わりを通して、住居の復旧と共に居住環境の回復に貢献できると捉えたためである。また、第二筆者は生活再建のための直接的な支援として、家財道具の片付け等の活動を断続的に展開することとした。なお熊本へは、第一筆者も第二筆者も、共に関西からフェリーを利用したプログラムを構築し、参加者が船内で省察できるよう工夫された。
 塩谷集落において概ね、毎月1回開催される会議の中で、2地域間の交流、すなわち「被災地のリレー」(e.g.渥美公秀, 2014)の開始の契機を探ったが、地域間のリレーには至らず、支援者の招聘による相互交流に留まった。8月の盆踊り大会では「特別賞」として旅行券を用意したが「あれは当たらないで」という声が出た。その点について稲刈りの後の交流の場で話題にしたところ、「熊本は(数秒の沈黙の後)遠い」という反応が返ってきた。そこで、筆者らも熊本で複数の協働的実践を重ねた後、2017年2月に、新潟県中越地震に市民による中間支援組織にスタッフとして参画し、東日本大震災には関わることができなかったものの、熊本の支援に駆けつけた方を勉強会に招いた。その結果、勉強会に参加した学生は早速、熊本へと足を運んだ。こうした動きについて、4月13日、地震発生から1年を前に、大阪府茨木市にて、支援に携わった熊本出身の学生と共に公開対談で報告した。

考 察
 「被災地のリレー」は「お世話になりっぱなしで心苦しかった」という方が支援の担い手になることによって、被災者役割の<開放>の契機となる。しかし、今回、リレーが発動しなかったのは、単に物理的な距離の遠さだけではない。事実、塩谷集落では熊本の地震発生直後に寄付が募られたが、それは義援金ではなく支援金にという意向が持たれていた。自らが支援者になるのではなく支援者に託していくという判断の背景には、物理的な距離が「被災地責任」(菅, 2008)からの<解放>の契機となったと捉えられる。
 渥美(2014)は支援を受け続けることによる抑圧を「負債」という比喩を用いて例証している。熊本の支援に携わった学生は、塩谷に現地の特産品(唐芋)を持参した。「被災地のリレー」は決して、被災者が支援者となって経験交流をするだけに留まらない。むしろ、新たな支援者が復興過程の物語を多く含んだ人・もの・情報をかつての被災地に持ち寄ることが、被災者の被災地責任が解放され、多面的な支援活動の維持・発展の応援団としての役割を創出する契機となろう。

引用文献
渥美 公秀(2014).災害ボランティア 弘文堂
菅 磨志保(2008).災害ボランティア活動の論理 菅 磨志保・山下 祐介・渥美 公秀(編)災害ボランティア論入門(pp. 72-81) 弘文堂

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