発表

1B-001

ピアジェの発生的認識論のスピノザ的解体(5)—ベルクソンの時間概念をめぐる諸問題—

[責任発表者] 小島 康次:1
1:北海学園大学

目 的
「本論の目的は.発達心理学の理論家であるピアジェ(Piaget,J.1896-1980)が遺した発生的認識論を批判的に検討し,その現代的な意義について明らかにすることである(日心,第79回大会論文集)。ピアジェ理論を批判するとは,その理論体系に遡って解体することを意味する。ピアジェがどのような学問的背景のもとに発生的認識論という体系を構築するに至ったかという精神史的道のりを検討することを通じて,ピアジェ理論のもつ現代的意義について考察する。本論はこのような問題意識から出発した一連の発表に続く試みである。本論では,において提起した課題をさらに展開し,それがベルクソン批判としての正当性をもつものかどうかを検討する。
「持続と同時性」への前奏
 小島(2016)「(2)ベルクソンの二元論をめぐる諸問題」では,「時間と空間の二元論」から「持続の一元論」への論理的必然性について論じた。あらゆるものを持続の相のもとで捉えるベルクソンは,すべての存在を持続の様々なレベルに統合しようとする。程度の差異を批判的にみながら,本性の差異を見出して,さらにそれらを差異の程度に統合する方式は,持続を一なるものとすることへの疑問を呈することにも繋がる。それらの差異をそのまま肯定し,多様な持続を認める方がより適切な説明になり得るのではないか。差異化を通じて一つの実在が存在するというベルクソンの考え方は,記述上(見かけの上での)二元論に依拠しているような初期の著作(『試論』)にもかかわらず,一貫した論理として維持される。ベルクソンの哲学を認識論としてではなく存在論として読み解くドゥルーズによって,一旦,アインシュタインとの論争でピアジェから批判された『持続と同時性』は新たな視点からの評価を得ることになった。 
ドゥルーズによるベルクソンの時間論
 ドゥルーズ(1966〔1974〕)は,ベルクソンがその著『持続と同時性』において,それまで論じていた時間の多様性に反する「驚くべき」仮説として,意識,生命体,物質世界の全体を含むすべてのものが参加する唯一の時間,唯一の持続があるという仮説,つまり,時間の一元論の主張をやや否定的に紹介する。これは,すでに主要な著書『物質と記憶』や『創造的進化』において示された時間の多様性の仮説と比べて妥当性が高いとは言い難いと言う。ドゥルーズは,この一見すると途轍もない変節が,アインシュタインの相対性理論との対決に起因するものと推断する。
持続=時間の多様性の二つのタイプ
 アインシュタインの理論は,ベルクソンによれば次のような特徴をもつものと要約される。それは物体の収縮とその物体の時間の膨張をもたらす運動という観念から出発している。そこから同時性の分解が生じる。固定された体系の中で同時的であったものが動く体系の中でそうでなくなり,休止と運動の相対性,加速された運動そのものの相対性によって同時性は崩壊するとされる。この意味で異なる速度をもち,それぞれ実在的で,それぞれが一つの準拠系であることによる時間の多様性,複数性が生じることになる。
 これらの多様性の概念はベルクソン自身にとってもそれまで親しく用いてきたものだった。しかし,多様性には二つのタイプがあり,ベルクソンはそれらを対立的に扱っていた。一つは実在的,数的,非連続的な多様性であり,もう一つは,潜在的,連続的,質的な多様性である。アインシュタインの多様性は前者のタイプであると考えられるが,相対性理論では,それらが混同され,再び,時間と空間の間に概念的混乱を生じさせたというのがベルクソンの批判点である。時間が唯一か多様かというのは外見上の問題で,真の問題は,《時間に固有の多様性とは何か》だとされる。
 アインシュタインは,様々な運動の流れを現実化させて同時にとらえ得ることを前提に時間を多様化したのである。確かに時間は多様化されたけれども,その多様性とは時間の空間的平面への現実化によってなされた量的な多様性過ぎず,したがって,相対性理論は実在そのものについての視点を本質的に変更するものとは言い難いとされる。

結 論 と 考 察
ベルクソンによる時間の多様性と唯一性
 「われわれが川岸に座っているとき,水の流れ,船の滑りや鳥の飛翔,われわれの深い生命のたえまないざわめき,それらはわれわれにとって随意に三つの異なったものであり,もしくは一つのものでもある。」(ベルクソン『持続と同時性』)
 異なった持続の流れが絡み合い,同時的に共存する。こうした流れの交錯の実在が流れの同時性を意味する(桧垣,2000)。桧垣は,このことをゼノンのパラドックスを例に,次のように論じる。アキレスが亀を追い抜く場面で,亀の歩みとアキレスの運動とは,それぞれが分割不可能な独自の流れを構成している。しかし,そこでアキレスの持続と亀の持続を包括的に扱う場面がなければ,アキレスは亀を追い抜くことはできないであろう。アキレスが亀を追い抜けるのは,それらの流れが交錯し,共存する場が実在し,さらにその二つの流れを見て取る私の時間の流れという三つの時間の流れが一つの実在を形成していなければならない。
 複数の持続は存在し,それらは独自の流れでありながら一つの場面で同時的に交錯するとされる。この一つの実在は,普遍的で非人称的なものであり,この同時性は潜在的なものでもある。スピノザが『エチカ』において証明しようと試みた唯一性とはこのことを指すと考えられる。

参考文献
ベルクソン(花田圭介・加藤精司)『持続と同時性』(白水社)
ドゥルーズ(宇波彰)『ベルクソンの哲学』(法制大学出版局)
桧垣立哉『ベルクソンの哲学』(勁草書房)
スピノザ(畠中尚志)『エチカ』(岩波文庫上・下)

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