発表

3A-032

ある失語症者における「失語」の意味の長期的変遷—15年を隔てた再インタビューを手がかりに

[責任発表者] 能智 正博:1
1:東京大学

問題と目的
 語りは,体験の表現であるとともに体験を作りだす行為でもあると言われている(森岡, 2013).自分に関する個人の語り(自己物語り)の検討は、その人の体験する自己のあり方を知るための通路であると同時に、その人の自己の生成に立ち合うことでもある。後天性の障害者や慢性疾患患者は、人生の途中で変化し完全に元に戻るとは限らない自分自身を意味づけ直し、語り直しながら生活を立て直していこうとする。近年精神医学の領域で、そこに関連づけられるようになってきたのが、「リカバリー」の概念である(Slade et al., 2008)。
 脳損傷を受けて高次脳機能障害となった場合のリカバリーについても、最近は研究知見が蓄積している。例えば能智(2003)は、失語症患者1名にのべ7時間にわたるライフストーリー・インタビューを行い、そのリカバリーのかたちを探っている。それによれば、受障後7年になるその患者は、自分の失語という状態の意味を更新し重層化させながら、自己の意味づけを変えていける柔軟さを獲得しているという。
 ただ、障害や慢性疾患は生涯にわたる付き合いを必要とすることが多く、ある時点でリカバリーやそれに関連する自己物語りが見られたとしても、より長期的な過程としてなぜどのように変動するのかは、まだ明らかにされていない。本研究は、上記失語症患者1事例に対して15年後に再インタビューを行い、失語に関する自己物語りがどのように変化しているかを検討したものである。
方 法
 事例 60代前半の男性・秋山さん(仮名)。元宝石商.現在は妻と2人暮らしで、独立した子どもが3人いる。43歳時に左半球基底部の脳内出血で5ヶ月入院し、回復期のリハ訓練を受ける。非流暢型の失語症を中心とした高次脳機能障害と右半身の不全麻痺が残存。身体障害者手帳で1級と認定される。その後言語症状は日常的なやりとりが可能な程度には回復したが、喚語困難が残った他、複雑な内容の理解には時間がかかる。この状態はここ数年変化していない。
 手続き 筆者は秋山さんが47歳の時に知り合い、3年後に初回のインタビューを行った。その後も年平均1回ほどは顔を合わせている。今回のプロジェクトでは、本例64~65歳時に3回の非構造化インタビューが行われた(のべ270分)。そこでは、発症後これまでの経緯が再度確認された他、現在の生活と今後の展望を自由に語ってもらった。なお、障害を考慮してインタビューには十分な時間をとり、内容を確認しながら行うよう心懸けた。また、本人の希望で「失語症パートナー」のボランティアも同席した。
 発話はすべてビデオ録画され、音声は逐語的に書き起こされた。分析では失語とそれに関連する状態に言及している箇所に特に注目し、失語症にまつわる体験をコード化・カテゴリー化して整理した。その際、能智(2003)で抽出した5つの失語の意味の現れを適宜参照した。
結 果
15年前に語られた失語の意味のカテゴリーは大枠として概ね維持されていたが、そのニュアンスには変化が認められた。
[自己の否定的変化としての失語] は、自分が病前とは異なって価値が低下した状態になったことを示す失語状態である。現在の自分に言及するときにはほとんど出てこないが、他の失語症者の話題では「(失語症は)不憫な関係」など、否定的変化としての語りが今回も見られた。
 [一時的状態としての失語] は、風邪などのようにいつか治るものとしての失語状態である。この意味づけは、かつての医療関係者からの言葉として今回も「引用」されたが、「絶対に治るっていう意味じゃないんだけど、話はできるようにする」という形で表現が緩められていた。
 [立ち向かう対象としての失語] は、脅威ではあるがそれに挑戦していけるものとしての失語状態である。今回は個人として立ち向かうニュアンスは薄れ、「失語症パートナー」に助けられながら社会と関わるところに重点が移っていた。
 [共有される属性としての失語] は、他の失語症の方々との共有体験としての失語状態である。失語症の自助グループの活動を語るなかで、自分だから運営できるという自負も口にしつつ、同時に、同じ失語症だからと言ってなかなか通じ合えない世代の壁も語られるようになっていた。
 [社会的対象としての失語] は、社会の人々に伝える価値がある体験としての失語状態である。失語症を広報する活動に現在でも従事しているが、地域やオーディエンスによる受け取りの差について悩みが語られた。
考 察
 能智(2003)では、失語の意味が重層化していく経過が記述されたが、その後15年の経過のなかで、それぞれの意味が単純に持続するというのではなく、それぞれの意味(a)が新たな経験のなかその意味の否定(a−)を繰り込みながら、これまでとは別の方向に厚みを増している様子がうかがえた。 
今回見られた変化の背景には、秋山さんが積極的に自助グループなどの社会活動に参加してきたという特殊事情もある。しかし同時に、そのなかで自分の老いに少しずつ直面して自分の生活を振り返り始めたという、高齢化する障害者に共通とも考えられる問題も関与していると考えられた。単一事例ではあるが、リカバリーの形の変化の1つのパターンを示すものとして、理論的な意義は少なくないと思われる。
引用文献
森岡正芳(2013). ナラティヴとは. (やまだようこ他編) 質的心理学ハンドブック (pp123-456). 新曜社
能智正博(2003). 「適応的」とされる失語症者の構築する失語の意味.質的心理学研究,2, 89-107.
Slade, M., Amering, M., & Oades, L. (2008). Recovery: an international perspective. Epidemiol Psichiatr Soc, 17, 128-137.

詳細検索