演題詳細

教育講演 / Educational Lecture

教育講演45 (Educational Lecture 45) : トピックス

print

日程
2013年10月11日(金)
時間
11:00 - 11:30
会場
第11会場 / Room No.11 (札幌市教育文化会館 1F 大ホール)
座長・司会
矢冨 裕 (Yutaka Yatomi):1
1:東京大学大学院医学系研究科 臨床病態検査医学
 
前へ戻る

血友病物語

演題番号 : EL-45

齋藤 英彦 (Hidehiko Saito):1

1:独立行政法人国立病院機構名古屋医療センター 名誉院長

 

はじめに

 血友病(hemophilia)は,生後間もなくから外傷後の止血困難,皮下・筋肉内・関節出血などを繰り返し,しばしば出血死する重篤な伴性劣性遺伝性疾患である。稀ではあるが,印象が強いために昔から興味が持たれ多くの記載がある。以下,著者が最近書いた二つの総説1, 2)を下敷きとして血友病をめぐる歴史的逸話をまとめた。
 Rosner3)によれば,血友病と推定される疾患の最初の存在は2世紀まで遡れる。ユダヤ教の律法集(Babylonian Talmud)には「二人の息子が割礼後の出血により死亡した母親は3人目の息子の割礼を免除される」とラビ・ユダが命令したと記載されている。割礼はユダヤ人が慣習として男子の新生児に対して生後8日目に施行する手術である。その後のユダヤ教のラビの律法では,さらに,「二人の息子が割礼により死亡した女性が再婚した夫との間にできた息子(女性の3人目の息子)の場合にも免除される」と母親を伝わり男子に現れることを認識していたようである。1800年以上前に女性を介して伝わる家族性(伴性劣性遺伝性)の致死的な出血病があることに気づいていた。しかし,他の原因による新生児の出血性疾患(ビタミンK欠乏症など)も含まれていたと推定される。

血友病をめぐる初期の研究:Otto,Hay,Feissly,Patekの業績

 希少疾患のために実際に症例を経験することは多くの医師にとり殆どなく,詳しい遺伝形式や症状などは知られていなかった。1803年に米国の医師Ottoは,彼自身は患者を診た経験は恐らくないが,他の医師から得た情報から推測して,些細な外傷により出血死すること,男性のみが罹患すること,および女性が伝えることを報告した4)。この論文は誠に頼りない内容の短い報告である。1813年には,同じく米国の医師Hayにより6世代におよぶ血友病の家系が報告された5)。当時ヨーロッパに比べて医学が未発達であった北米から血友病に関する最初の科学的報告がされたことは不思議である。血友病の病因が,血小板や血管壁の異常によるものではなく血液凝固の異常によることは,19世紀末に凝固時間測定法の発明とともに初めて明らかにされた6)。しかし凝固異常の原因は謎であった。当時のMorawitzの凝固仮説(1904年)で,フィブリン形成に必要と考えられたものはトロンボキナーゼ,カルシュウムイオン,プロトロンビン,フィブリノゲーンの4因子である。Addisは血友病の血液には正常と同じ量のフィブリノーゲン,カルシュウムイオン,トロンボキナーゼ,プロトロンビンがあるにもかかわらず,トロンビンへの転換が遅いことを観察し,血友病のプロトロンビンの質的異常が凝固時間延長の原因ではないかと推論した7)。4因子以外の因子が必要であるとは思わなかった。
 歴史を振り返ると,血友病のような稀な先天性凝固異常症の研究により多くの血液凝固因子が発見されたことが明らかである。1930年代中頃から1970年代中頃までの40年間に殆どすべての凝固因子が見いだされている(Fig. 1)8)。Robert Feissly(1884~1965)はスイスの血液学者である。彼はローザンヌの病院「La Pensee」で研究をつづけ,1924年に血友病の延長した凝固時間が正常血液や血漿の輸注により一時的に正常化するという画期的な研究成果を報告した9)。具体的には,2名の血友病患者に100mlの正常血液を輸注すると,凝固時間がそれぞれ1.5時間だったものが26分と30分に短縮した。また,他の患者では5時間の凝固時間が50mlの正常血漿の輸注後に23分になった。このフランス語の小論文は,血友病の原因が正常血漿に存在する因子の欠乏によることを初めて示唆したものとして高く評価できる。次いで米国のPatekら10)は,1936年に,正常血漿中に存在する物質が少量で血友病の凝固時間を短縮すること,その物質は血友病血漿には欠乏していること,を証明した。ここに初めて血友病が未知の凝固因子の欠乏によることが確立された。この物質が後に抗血友病因子(anti-hemophilic factor,AHF,第VIII因子)と呼ばれるようになった。

Royal Hemophilia: 血友病の保因者としてのヴィクトリア女王

 血友病の家系で最も有名なのは英国のヴィクトリア女王一家である(Fig. 2)。彼女の9名の子供(男4名,女5名)のうちレオポルドは血友病患者であったと考えられる。また女王の二人の皇女を通して血友病がロシア,スペイン,ドイツなどの王室や貴族にも伝わったので,女王は保因者であったと思われる。Royal Hemophiliaと呼ばれる由縁である。女性を伝わり男性にのみ現れる典型的な伴性劣性遺伝が明らかである。ヴィクトリア女王の息子,孫,曾孫のうちの少なくとも10名が血友病に罹患した。当時は英国が,世界(7つの海)を支配した時代で,ヨーロッパの王家間と政略結婚を頻繁に行なったことにより血友病が広がった。
 ヴィクトリア女王の第4男のレオポルド皇子(1853~1884年)(Fig. 3)は生後まもなくからさまざまな出血症状に悩まされた。1868年2月のBritish Medical Journalに彼が15歳の時の短い記載がある。2月8日には「先週,皇子は重篤な出血による失血のために危篤状態に陥った,しかし無事に回復したのでお城につめていた主治医のジェンナー博士とペジェット博士は街に戻った」とある11)。さらに2月15日には「皇子の回復は順調である。皇子の出血傾向は,今までに何回も起きたが,それ以外には全く健康な人(我が皇子たちにふさわしく)に原因不明で起こる異常である。しかし,この状態のためにレオポルド皇子は一生涯激しい運動をすることやアルフレッド皇子やアーサー皇子のように活発な公務につくことは無理であると思われる。芸術や文学を趣味とすることはむしろ適しており,皇子がその分野のパトロンとなれば国家にとっても有益で立派なキャリアーとなると考えられる」12)。レオポルドは繰り返す関節出血の結果として慢性関節症に悩まされていたようで,Fig. 3でも車椅子に乗っている。実際にレオポルドは殆どの時間を室内で読書をして過ごしたので,ヴィクトリア女王の子供の中では最も教養豊かであり,六か国語を学んだといわれる。24歳の時から女王の私的秘書として,政府の書類に目を通すことや女王と政府間の連絡係などをするようになった13)。レオポルドは29歳の時にドイツの皇女と結婚し娘が生まれた。1884年に静養のために訪れていたフランスのカンヌで転び頭をうち脳出血で死亡した(享年31歳)。

ヴィクトリア朝時代の血友病に対する理解

 Fig. 3の写真中央の主治医のウイリアム・ジェンナー博士(Sir William Jenner)は大学教授やRoyal College of Physiciansの会長を歴任した経験豊かな当代一流の名医でヴィクトリア女王一家の信頼が厚かった14)。ジェンナー博士はレオポルドの血友病についてどのように理解していたのか? 博士は,血友病の血液が凝固しにくいこと,しかし時には何も誘因なしに出血するのでこれだけでは病態を説明できない,遺伝するか否かについては,無症状の母親から息子に伝わることは知っていたようだが,「家系内に患者の一人もいない症例もある」とあいまいにしている15)。1800年代の始めには米国からの報告により血友病の遺伝形式は明らかにされていたにもかかわらず4, 5),何故彼ほどの碩学が遺伝について理解していないように報告したのか? 王室への遠慮があったのかもしれない。ヴィクトリア女王自身は恐らく娘を伝わり遺伝する可能性を認識していなかったと推定される。レオポルドの死に際してLancetやBrit Med Journalは簡単に伝えるのみで血友病との関係に直接は触れていない16, 17)。しかし同じ号で血友病に関する論文を載せている。王室のプライバシーに配慮して間接的に皇子の死と血友病との関連を示唆したと解釈できる。

ロシア皇室の血友病Fig. 4

 ヴィクトリア女王の孫娘アレクサンドラはロシア皇帝ニコライ2世と結婚して5名の子供に恵まれた。4名の娘の後に待望の息子として生まれたのがアレキシス(1904~1918年)である。しかし不幸なことに彼は血友病に罹患していた(Fig. 4)。血友病の保因者かも知れないアレクサンドラと何故結婚したのか? 実は,ニコライの父アレクサンダー3世は反対していたらしい18)。理由は,アレクサンドラの兄のフレデリックは血友病で死亡し,また姉のイレーネは血友病の息子2人を生んでいた。これだけの家族歴があればいくら昔でも結婚を躊躇するのが普通であろう。さらにアレクサンダー3世の妹はヴィクトリア女王の息子のアルフレッド(レオポルドの兄)の妻であったので,血友病の恐さを皇帝も間接的に聞いていたと推定される18)。しかし,ニコライとアレクサンドラは1884年に親戚の結婚式で出会ってから恋に落ち,父の皇帝が病死した1週間後に二人は結婚した。
 輸血などの治療法の全くなかった時代なので,アレキシスは幼少時から出血による痛みに苦しんだが,血友病であることは秘密にされた。我が子の苦しみに「藁をも掴む」思いのアレクサンドラ皇后は農夫出身の祈祷師ラスプーチン(1871~1916)に頼るしかなかった。不思議にも彼の暗示・催眠術により出血・疼痛が軽減されたこともあり皇帝夫妻の怪僧に対する信頼は高まった。その結果,ラスプーチンがロシアの宮廷で力を持つようになり政治が混乱したと伝わっている。ラスプーチンは1916年に暗殺された。おりしも1904年(アレキシスの生まれた年)からは日露戦争,1914年からは第一次世界大戦がはじまりロシアは疲弊し社会は混乱した。その結果,革命が起り300年続いたロマノフ王朝は崩壊した。臨時政府は皇帝一家の亡命を英国(当時の国王ジョージ5世はニコライ2世の従兄弟にあたる)に打診したが拒否された13)。アレキシスを含めてロシアの皇帝一家は1918年にエカテリンべルクで革命軍により処刑された。以下,ニコライ2世一家にまつわる二つのエピソードを紹介する。

ニコライ2世と大津事件Fig. 5

 ニコライ2世は日露戦争当時のロシア皇帝であるのみならず別な意味でも我が国と関係の深かった人である。彼は,皇太子の頃,1891年(明治24年)の日本訪問中に,滋賀県の大津で巡査津田三蔵に切り付けられて負傷した(大津事件)。国内は大騒ぎになり,急遽,明治天皇が東京から京都までニコライのお見舞いに訪れた。政府には,当時のロシアの力を恐れて,犯人を死刑にすべきという意見が強かったが,大審院院長の児玉惟謙は津田に無期懲役の判決を下し,司法の独立を守ったとされる。この時にニコライの血痕の付いたハンカチが滋賀県立琵琶湖文化館に保存してあり,近年ニコライの血液型やDNAの判定などに利用された。

アナスタシア伝説Fig. 6

 ニコライ2世の末娘であるアナスタシアが革命軍による一家の処刑から逃げのびてアンナ・アンダーソンという名前でドイツに住んだという風評があった。彼女は自分が皇帝の娘のアナスタシアであると主張してロシア皇室の遺産を巡り裁判をおこし世間の注目を浴びた。米国でイングリッド・バーグマン主演の「追想」という映画にもなった。裁判の結論のでないままに彼女は1984年に死亡し火葬されて真相は闇の中と思われたが,近年の研究で彼女は偽物であることが明らかになった。アンダーソンが生前に受けた手術標本(小腸)と毛髪が残っており,英国と米国の研究者による分析により,生存するロシア皇帝の血縁者のDNAとの比較でアンダーソンは血縁関係がなくアナスタシアとは別人であることが確認された19)

血友病Bの発見:Pavlovskyの貢献

 レオポルドやアレキシスの時代には血友病は一種類の病気であると思われていた。その後,血友病の原因が抗血友病因子(第VIII因子)の欠乏によることが明らかになっても,やはり単一の疾患と考えられた。しかし,次第に血友病患者には2種類あることが色々な研究者により観察された。世界に先駆けて,血友病には2種類あることを報告したのはAlfredo Pavlovsky(1907~1984)(Fig. 7)である。
 彼はアルゼンチンのブエノスアイレスで1907年にロシア移民の息子として生まれた。医学部卒業後,1936年に米国ボストンのMinot博士,Murphy博士(悪性貧血の研究により1934年にノーベル賞受賞)の元に留学した。その時,若き日のWilliam Dameshek博士(後のBloodの創刊者)と会い,親交を結んだ。ブエノスアイレスに帰り血液学の研究と臨床に取り組み,血友病には2種類あることを1944年に報告した。1955年にはInstitute of Hematology Researchを設立してその所長を務めた。国際的にも活躍し,1946年の国際血液学会の創設に参加した。第二次世界大戦前後にかけてアルゼンチンおよび南米の医学水準の向上に中心的役割を果たした一人である。彼は万能のスポーツ選手でラグビーの全国チームやバスケット,水泳で活躍し,陸上競技でもトップレベルの成績を残した20)

1944年のMedicinaのスペイン語論文

 Castex,Pavlovskyらの論文21)は18ページからなり,多くのデータ(14の表)を含む。試験管内で,数名の血友病患者の血液に正常血液,血漿,血清を添加した時の凝固時間を調べて,明らかな短縮を見た。しかし,血友病患者の中には1例であまり短縮しないものもあった(おそらくインヒビター発生例か?)。また,無フィブリノゲン血症の患者血液を血友病患者血液と混合すると相互に補正した。In vivoでも,正常血液や血漿を血友病患者に輸注して凝固時間の短縮を観察したが,短縮しない症例も経験している。特筆すべきは,異なる血友病患者の血液を試験管内で混合すると凝固時間が正常化することを観察した。また,血友病患者間の輸血を行い,凝固時間が補正することも報告している。血友病患者A(凝固時間 88分)の100mlの血漿を血友病患者B(凝固時間 30分)に輸注した時のBの凝固時間の推移は以下のようであった:30分(輸注前)→6分(30分後)→13分(24時間後)→28分(48時間後)。これらの実験結果をPavlovskyらは“paradoxical”と考え,血友病の病因が凝固因子の欠乏であるという通説に反すると解釈した。血友病には2種類あるとは解釈しなかった。
 何故,実験(観察)結果は正しにもかかわらず,解釈を間違えたのか? まず患者の中に正常血液の輸血でも凝固時間が短縮しないインヒビター症例と思われるものがあった。当時は輸血によりインヒビターが発生するということが知られていなかった。従って,Patekら10)の結果(正常血漿輸注で血友病の凝固時間が短縮)とは異なる場合もあると述べている。また,同じ遺伝形式,臨床症状の疾患が二つあるとは想像しなかったのであろう。そして,血友病の成因についてはインヒビター説を支持し,血友病血液には抗凝固物質が存在し,体外に取り出した時(in vitroの実験や輸注のため)に抗凝固物質は不活性化される,と誤って解釈した。このことがPavlovskyを真の意味での血友病Bの発見者と認定するために不利になっている。

Aggeler,Schulman,Biggsによる1952年の3つの報告

 1952年に3つのグループが血友病には2種類ある,臨床症状,遺伝形式は同一であるが,第VIII因子の欠乏によらない血友病があると報告した。論文の出た順番は,Aggelerが4月22),Schulmanが8月23),Biggs24)が12月である。Aggelerの症例は,16歳男子,幼児期にITPの診断で脾摘,血小板数正常,凝固時間延長,筋肉,関節内,皮下出血のため100回以上の入院歴,家族歴なし,既知の血友病と凝固時間が相互に補正した。Aggelerらは新しい疾患と考えて,PTC(plasma thromboplastin component)欠乏症と命名した。AggelerとSchulmanの論文は家族歴のない1例報告であるのに対して,Biggsは7症例を報告し伴性劣性遺伝形式も確認している。Biggsは最初の患者の名前にちなんでChristmas病,Christmas因子と命名したが,たまたまBritish Medical Journalのクリスマス号に論文がのったために神聖な祝日とおなじ名前を病気につけるのは問題であると物議を醸した。これに対して,Biggsらは,将来もしChristmas因子の前駆体が発見されてもクリスマスイブ因子と呼ぶことはしないと冗談めかしてはぐらかした25)。血友病B(第IX因子欠乏症)の発見者として広く認識されているのはBiggsらである。Christmas病という言葉が同意語として残っていることからも明らかである。英語以外の論文が無視されるのは昔も今も同じである。
 Christmas病に名前を残すChristmas氏は英国からカナダのトロントに移住し,1993年の12月20日にAIDSで死亡した26)。彼は血液製剤の安全性の確保とHIV感染者への補償を求める運動に積極的に参加した。まさに血友病Bの発見から血液製剤の進歩に伴う悲劇までの歴史を自ら体験した一生であった。

Royal hemophiliaは血友病Bと判明

 Royal Hemophiliaが血友病AであるかBであるかは研究者の興味の的であった。近年,所在が不明であったニコライ2世一家の遺骨が発見され,生存する血縁者のDNAとの比較で皇帝一家のものであることが証明された。この研究はロシア政府の正式な要請で実施され,現在の英国エリザベス女王の夫であるエディンバラ公も血液を提供した(彼の祖母はニコライ2世の妻であるアレクサンドラ皇后の姉にあたる)。さらに最新のDNA解析技術の応用により血友病Bであることが2009年に明らかにされた27)

血友病の本邦第一例報告

 我が国で最初に血友病の1症例を報告し,hemophiliaを血友病と翻訳したのは東大小児科の初代教授弘田 長とされている28)。症例は,12歳の男子,出血傾向の既往歴,家族歴はないが,6か月前から断続的に続く鼻出血,歯齦出血のために入院した。貧血はあるが,関節腫脹などの記載はない。上記の出血が続き12日目に衰弱により死亡した。血液検査はしていない。これは果たして血友病であろうか? 再生不良性貧血やITPなど他の出血性疾患の可能性も否定できない。弘田氏も家族歴のないこと,幼少時に出血傾向のないこと,から典型的な血友病とは異なると考察している。
 明らかな遺伝性血友病を記載したのは明治35年の山下弁次郎である29)。6歳の男子,3歳と5歳の時に軽微な外傷後の止血困難あり,家族歴に3名の男子の出血者ある。上唇の外傷後出血が続き顔面蒼白で入院,貧血あり,脈拍128/分。局所療法により止血。この症例は典型的な血友病と考えられる。

血友病に関するその後の進歩

 新しい方法・技術の導入により血友病の原因の理解や診断・治療が進歩した。1970年代にはタンパク化学の進歩により第IX因子の一次構造が明らかにされ,その後,血漿由来の凝固因子製剤の普及により家庭治療も導入され血友病の止血管理は容易になり患者のQOLも向上した。大きな外科手術も補充療法の活用で可能になった。しかし,血液製剤を通じてHIV感染やウイルス肝炎の拡大という大きな悲劇を招いたことは誠に残念である。1982年には凝固因子の中で最初にIX因子cDNAが単離された30)。その後,VIII因子の遺伝子もクローニングされ,血友病の異常が分子レベルで理解できるようになった。また,遺伝子組み換え技術により製造したリコンビナント第VIII因子や第IX因子が血友病の止血に有効であることが確立した。さらに,2011年には血友病Bの遺伝子治療が報告された31)。まさに隔世の感がある。

おわりに

 血友病に関する研究の歴史の一端を振り返り,特に19世紀から20世紀初めにかけて英国王室を発端としてヨーロッパの王室に広がったroyal hemophiliaについてエピソードを交えて解説した。

謝辞 

Pavlovsky博士の写真を提供いただいたMaria Angela Lazzari博士(Hematological Research Institute,Buenos Aires,Argentina),大津事件の関係資料を提供いただいた滋賀県立琵琶湖文化館に感謝します。

文  献

1)齋藤英彦. 血液今昔物語 血液病 原典・現点(第16回)Royal Hemophilia 英国ヴィクトリア女王は血友病の保因者だった. 血液フロンティア. 2012; 22: 564-570.
2)齋藤英彦. 誰が血友病B(第IX因子欠乏症)を発見したか? 忘れられたパイオニアたちの貢献. 日血栓止血会誌. 2012; 23: 274-279.
3)Rosner F. Hemophilia in the Talmud and rabbinic writings. Ann Intern Med. 1969; 70: 833-837.
4)Otto JC. An account of an hemorrhagic disposition existing in certain families. Clin Orthop Relat Res. 1996; (328): 4-6.
5)Hay J. Account of a remarkable haæmorrhagic disposition, existing in many individuals of the same family. N Engl J Med. 1813; 2: 221-225.
6)Wright AE. On a method of determining the condition of blood coagulability for clinical and experimental purposes, and on the effect of the administration of calcium salts in haemophilia and actual or threatened hæmorrhage: [Preliminary Communication]. Br Med J. 1893; 2: 223-225.
7)Addis T. The pathogenesis of hereditary haemophilia. J Pathol Bacteriol. 1911; 15: 427-452.
8)Saito H, Matsushita T, Kojima T. Historical perspective and future direction of coagulation research. J Thromb Haemost. 2011; 9 Suppl 1: 352-363.
9)Feissly R. Recherches expérimentales sur la correction in vivo de la coagulabilité sanguine chez l’hémophile. Bull Mem Soc Med Hop Paris. 1924; 48: 1739-1742.
10)Patek AJ, Stetson RP. Hemophilia. I. The abnormal coagulation of the blood and its relation to the blood platelets. J Clin Invest. 1936; 15: 531-542.
11)Prince Leopold. BrMedJ. 1868; 125.
12)Prince Leopold. BrMedJ. 1868; 148.
13)Stevens RF. The history of haemophilia in the royal families of Europe. Br J Haematol. 1999; 105: 25-32.
14)Royal College of Physicians. Sir William Jenner.(http://munksroll.rcplondon.ac.uk/Biography/Details/2426). Accessed2013 June 3.
15)Clinical Society of London. Lancet. 1876; 718.
16)The death of the Duke of Albany. Br Med J. 1884; 690.
17)The death of Prince Leopold. Lancet. 1884; 638.
18)Rushton AR. Leopold: the“bleeder prince”and public knowledge about hemophilia in Victorian Britain. J Hist Med Allied Sci. 2012; 67: 457-490.
19)Gill P, Kimpton C, Aliston-Greiner R, et al. Establishing the identity of Anna Anderson Manahan. Nature Genetics. 1995; 9: 9-10.
20)Lanari A. Necrologia: Dr. Alfredo Pavlovsky(1907-1984). Medicina(Buenos Aires). 1984; 44: 115-116.
21)Castex MR, Pavlovsky A, Simonetti C. Contribucion al estudio de la fisiopatogenia de la hemophilia. Medicina(Buenos Aires). 1944; 5: 16-34.
22)Aggeler PM, White SG, Glendening MB, Page EW, Leake TB, Bates G. Plasma thromboplastin component(PTC)deficiency; a new desease resembling hemophilia. Proc Soc Exp Biol Med. 1952; 79: 692-694.
23)Schulman I, Smith CH. Hemorrhagic disease in an infant due to deficiency of a previously undescribed clotting factor. Blood. 1952; 7: 794-807.
24)Biggs R, Douglas AS, Macfarlane RG, Dacie JV, Pitney WR, Merskey H. Christmas disease: a condition previously mistaken for hemophilia. Br Med J. 1952; 2: 1378-1382.
25)Biggs R, Douglas AS, Macfarlane RG., Dacie JV, Pitney WR, Merskey H. Christmas disease. Br Med J. 1953; 1: 221.
26)Giangrande PL. Six characters in search of an author: the history of the nomenclature of coagulation factors. Br J Haematol. 2003; 121: 703-712.
27)Rogaev EI, Grigorenko AP, Faskhutdinova G, Kittler EL, Moliaka YK. Genotype analysis identifies the case of the “royal disease”. Science. 2009; 326: 817.
28)弘田長. 出血病患者ノ実験. 東京医学会雑誌. 1889; 3: 357-360.
29)山下弁治郎. 血友病の一例. 成医会月報. 1902; 243: 13-18.
30)Kurachi K, Davie EW. Isolation and characterization of a cDNA coding for human factor IX. Proc Natl Acad Sci U S A. 1982; 79: 6461-6464.
31)Nathwani AC, Tuddenham EG, Rangarajan S, et al. Adenovirus-associated virus vector-mediated gene transfer in hemophilia B. N Engl J Med. 2011; 365: 2357-2365.

前へ戻る