演題詳細

教育講演 / Educational Lecture

教育講演9 (Educational Lecture 9) : トピックス

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日程
2013年10月11日(金)
時間
10:00 - 10:30
会場
第11会場 / Room No.11 (札幌市教育文化会館 1F 大ホール)
座長・司会
浦部 晶夫 (Akio Urabe):1
1:NTT関東病院 顧問
 
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エリスロポエチン物語 ―純化の歩みと遺伝子クローニングへの道のり―

演題番号 : EL-9

河北 誠 (Makoto Kawakita):1

1:特定医療法人萬生会 熊本第一病院 理事長

 

はじめに

 1990年,エリスロポエチン(EPO)が遺伝子工学により大量生産され,腎性貧血の文字通りの「特効薬」として驚異的な臨床効果を示したことは,その研究にかかわった者にとり無上の喜びであった。今回澤田会長のご指示により,われわれのEPO研究の一端を紹介することになってしまった。40年程前,何もわからないままに面白そうだと宮家隆次博士のもとに「弟子入り」してしまったのが運のつき,その後の人生には楽しくて面白いことも山ほどにあったが,苦しい事はさらに多かった。今回のお話は実験手技も現代とはずいぶんと異なるかなり昔の物語で,会員各位の参考になるのか心許ない。ただ,このような泥臭い仕事に情熱を燃やした当時の若者がいた(今はもはや“古稀”目前だが)ことを記憶の片隅にでも残してもらえば幸いである。
 現在,世界全体で約200万人がEPOの恩恵にあずかっているとされる。幸いにしてわれわれのグループは1976年にEPOの純化に成功して翌77年これを報告し1),それが後年の遺伝子クローニングの礎となったが2, 3),これはそれ以前の数十年にわたる,本邦はもちろん世界中の研究者の地道な研究の積み重ねを抜きにしては考えられない。本稿では原点に戻ってEPO純化の歴史をひもといてみたい。

EPO研究の歴史

 赤血球造血の研究は高山病の研究と高地生活者の観察の歴史と密接にリンクしている4)。16世紀スペインがインカ帝国を征服したときに,しばしば致死的な高山病に苦しめられた話はよく知られている。当時は高山の地中にある毒物からの妖気による奇病と信じられたが,1569年イエズス会のAcosta神父は「呼吸困難,吐き気,めまい,失神などの症状は高地での元素(空気)の希薄さによるもの」と正確に記載している。しかしこの事実が科学的に認められるには3世紀の時を要した。1863年,フランス人の外科医師Jourdanetが,外科手術を受ける高地居住者の血液が濃く,粘稠であると記載している。1878年には生理学者のBertが気圧を自在に調節できる気圧室を発明,高山病が低気圧すなわち酸素欠乏によるものと証明した。また1890年,Viaultはリマから海抜4,500mのモロコチャに旅行したが,彼自身と同行者の赤血球が2~3週間で500万/mm3から800万に増えたと報告し,高地赤血球増加症は低酸素状態への順応の結果であることを証明している。その後1950年頃までには世界各地の高地居住者の赤血球増加の程度が,居住地の海抜高度にほぼ比例することが明らかになった。
 一方1906年Carnotらは貧血家兎の血清を正常家兎に注射したところ赤血球が著しく増えたことから,貧血動物の血清中に造血刺激因子があるとしてhemopoietinと名付けた。彼らの実験は再現性がないとされたものの,造血の液性因子調節を示唆したことは歴史上特筆すべきである。その概念は40年のちの1950年,Reismann5)による併体接合(parabiosis)実験により実証された。2匹のラットの皮下組織を接合縫合し,一方のラットを低酸素空気(7.6%)下におくと,通常の空気を呼吸している他方のラットへ赤血球産生刺激が伝わり骨髄赤芽球過形成が生じた。さらに53年Erslev6)は貧血家兎血漿を繰り返し正常家兎に投与すると,網赤血球が増えたのちHtが上昇することを発見した。この二つの実験により液性因子EPOの存在がみごとに実証された。
 また50年代になると59Feが実験系に導入され,EPOの知見は急速に蓄積された。1957年シカゴ大学のJacobsonら7)は,いろいろな臓器を摘出したラットに赤血球産生刺激を与えたところ,腎摘出ラットにのみ産生亢進がみられなかった。これによりEPOが腎で産生され,腎性貧血はEPO産生障害によることが明らかになり,EPOの臨床応用が期待されるようになった。
 なおerythropoietinの名称は,欧米では1948年にBonsdorffら8)が提唱したとされるが,これに先立つ昭和11 (1936)年,本邦の血液学の祖の一人,熊本医科大学の小宮悦造教授が「造血の神経調節」のなかでCarnotらの概念をさらに広げ,白血球にはLeukopoetin,赤血球にはErythropoetin,血小板にはThrombopoetinと,各系統に作用する因子の名称を初めて提唱された9, 10)。翌37年貧血患者血清をウサギに投与すると,網赤血球が10時間から24時間にかけて分利的に増加すると報告しておられる11)。当時のことでもあり実験に不備な面もあるが,その試みは現在でも評価できよう。小宮教授はまた再生不良性貧血の命名者でもある。
 小宮教授(在任1924~47)の後任として筆者の父,河北靖夫が熊本大学第二内科を26年間主宰し(在任1947~73)研究を継続した。結局熊本大学は小宮・河北の2代,半世紀にわたり専ら臨床血液学を中心に研究する教室が続いた。その時期の61年,当時30歳の宮家隆次が生化学大学院を修了して第二内科に入局,臨床血液の教室に生化学的手法による研究を導入した。河北靖夫も積極的に宮家を支え,彼の研究はEPOにとどまらず,本邦のある地域で遺伝性メトヘモグロビン血症の世界最大の集団を発見12~15),さらに熊本で数万人の血液サンプルをスクリーニングし,ヘモグロビン異常症のいくつかの家系を発見する16, 17)などの業績がある。

EPO活性測定法の開発

 EPOの存在が証明されても,再現性に富む活性測定法の開発にはしばらく時がかかった。動物のHb濃度や網赤血球の変動を指標にする方法は,当時は感度が低く多くの試料が必要だった。既に40年代には経口または非経口的に59Feを投与すると骨髄赤芽球のHb合成に取り込まれて,最終的に末梢血赤血球が59Feで標識されるが,成熟赤血球自体には59Feを取り込む能力(Hb合成能力)はないことが知られていた。1950年Hennessyら18)は放射線照射ラットを用い,59Feの取り込みが骨髄赤血球造血の程度を忠実に反映すると報告した。シカゴ大学のJacobsonの研究室ではこの事実をもとに,EPO活性が59Feの赤血球への取り込み率を指標に測定可能なことを55年から相次いで報告し測定の基礎を確立した19~21)
 EPO活性測定には,in vivoin vitroの測定法がある。in vivo法では動物自身のEPO産生を抑制して外来性EPOへの反応性を高める必要がある。このため種々の方法が試みられ,多血マウス法(輸血や低酸素飼育)と飢餓ラット法が一般的となった。多血状態では内因性EPO産生が著減し,一方飢餓状態では代謝が低下して組織酸素消費が減り相対的多血症となる。感度は多血マウス法がはるかに優れるが時間と手間がかかるのに対し,飢餓ラット法には餌を抜くだけで簡単にできるうえに時間が短くてすむ利点がある(Fig.1)22)
 In vitro測定法は骨髄細胞培養が用いられ簡単だが,シアル酸が外れてin vivo活性を失ったEPOも活性を示してしまうので,生物活性の正確な評価ができず,組み換え型EPOの調製にもin vivo法は今でも必須である。現在ではアイソトープを使わないフローサイトメトリーによる網赤血球数の簡便で鋭敏な測定法が確立されているが23),純化を目指した当時は50年代に開発された59FeのHbヘの取り込みを指標にするin vivo法が唯一であった。
 また活性の標準化も進んだ。塩化コバルトが59Feの取り込みを促進するので,その5 μmolを注射したときの59Fe摂取増加率を1国際単位(international unit,IU)と規定した。のちにIを省き単にUと表記するようになる。しかし塩化コバルトは動物の系統により反応性がばらつき,毒性もあるため,国際標準品(International Reference Preparation: IRP)が調製された24)。62年貧血ヒツジ血漿由来のIRP (標準品A)がNIHから,次いでヒト尿由来の標準品Bが英国MRCから頒布され,研究者は各自が調製した内部標準品の活性(比活性)をIRPの検量線から決定して実験に用いた。

初期のEPO純化の試み

 1954年Borsookら26)は血漿EPO活性が100℃,15分加熱しても消失しないと報告した。このEPOの特性ともいうべき極端な熱抵抗性はのちによく知られたものになるが,彼らはこの性質から論文の表題をEPOが“nonprotein”であるとしたため,EPOが蛋白と再認識されるまでしばらくの時を要した。しかし蛋白分解酵素でEPOが失活すること,さらに60年にはシアリダーゼ処理でも失活することが報告され,EPOは糖蛋白で糖鎖中のシアル酸がその活性発現に必須であることが明確になった26)
 EPO純化の試みは1960年前後から世界中で始まったが,in vivo測定法は一度に多数の動物が必要なうえ個体間のばらつきが大きい。また当時の精製手技は煩雑で長時間を要し,加えて活性の高い原材料が得難く,長い間成功しなかった。まず腎からの抽出が試みられたが失敗した。正常動物のEPO産生量を考えれば当然の帰結である。
 初期の精製には貧血患者尿からと,貧血動物の血漿からの流れがある。貧血患者尿中のEPO活性が高いことが明らかになると,多くの研究者が純化に挑んだが,非常に失活しやすく比活性は上昇しなかった。これは後述するように尿中のシアリダーゼによる。ヒツジ血漿由来標準品Aの比活性23U/mg蛋白に対し,ヒト尿由来標準品Bが0.7U/mg蛋白にすぎなかったのはその好例である。
 1970年アルゼンチンのEspadaら27, 28)は鉤虫性貧血患者尿からEPOを純化したと発表した。原尿からの精製度は300倍,活性収量19%で,比活性8,000U/mgの蛋白0.3mgを得たというが,彼らが純化の証拠としたのは著しく幅広い電気泳動上のバンド,セファデックスG-100カラムでの蛋白と活性の溶出ピークの一致,低い比活性の標品で作製した抗血清を用いたオクタロニーゲル拡散法による沈降線だけで,純化とは信じられていない。
 貧血患者からの安定した尿供給が望めない米国では,貧血動物血漿からの精製が試みられた。フェニルヒドラジンを動物に投与すると激烈な溶血性貧血が起こる。Jacobsonの弟子Goldwasser29)はこの方法で重度の貧血にしたヒツジの血漿からの純化を試みた。1971年,彼らは7段階の複雑な過程を経て8,900U/mg蛋白の標品を得た。精製度は原材料から実に百万倍以上,しかも得られた蛋白は極めて微量で,当時の技術では蛋白解析は不可能であった。

われわれのEPO純化の歩み

1.純化の青写真
 宮家は1964年,再不貧患者尿からEPOの純化を志した。前述のように当時のわれわれの内科は,小宮教授以来の伝統から血液疾患の入院患者が非常に多かった。また各地域で血液専門医が積極的に活動する現代と異なり専門医も少なく,九州・沖縄の各地からの患者紹介が頻繁な時代だった。また厚労省特発性造血障害調査研究班によれば,当時は再不貧患者のほぼ半数が2年で死亡していた30)。造血幹細胞移植も普及しておらず,抗Tリンパ球グロブリンやシクロスポリンなど現代では当たり前の免疫抑制療法もなく,血小板輸血さえもない時代で,治療は専ら全血輸血と蛋白同化ホルモン,副腎皮質ステロイドである。治療が有効でも造血回復が遅くてなかなか退院できずに入院が長期化し,常に多くの再不貧患者(十名以上と記憶している)が入院しており,尿中EPO力価が高い患者を選んで集尿することが可能であった。
 宮家は精製を始めるにあたり,まず「どのくらいの尿が必要か?」を考えた。純粋なEPOの比活性は全くわからない。そこで当時活性がはっきりしていたインスリンの例を参考にした。インスリンがpmolレベルの血中濃度で活性を示すことと純化インスリンの比活性から,純化EPOの比活性をおよそ10万U/mg蛋白と推定した。驚くべきことに純化してみればこの推定はみごとに的中していたのである。予備実験で再不貧尿は平均1U/mlの活性を含むが,尿中の阻害因子を除くと2U/mlになる。現代はN末端アミノ酸配列が決定されれば遺伝子がすぐに同定できるが,当時は蛋白の1次構造(全アミノ酸配列)の決定が純化の目標であり,それには純化標品50mgが必要とされていた。宮家は原尿からの活性収量を20%と概算し,必要尿量12.5トン,当時の尿処理能力から10年の歳月を要すると計算した。
 今なら「尿処理のみで10年,気が遠くなる! 俺の研究人生が尿処理だけで終わる? 嘘ッ! とんでもない!」というのが一般的な反応だろう。しかし古き良き時代か,熊本には宮家の遠大な目標に共感してやってみようという若者がそこそこにいたのである。かく言う筆者(河北)もそのひとりだが,今にして思えば尿処理で人生が終わった感じがなきにしもあらずかなァー…??

2.EPOの粗標品調製法の確立
 当初の数年は精製の第一段階,尿からのEPO抽出法の確立に費やした31, 32)。低温室もなく真冬に窓をすべて開け放ってカラム操作を行なった。宮家によれば,その後河北教授にお願いして低温室を作ってもらったが,その資金作りで医局全体に迷惑をかけてしまった。おまけに場所がなく助手室をつぶす羽目になり,心苦しい限りだったが,当時の諸先輩の温かいご支援に感謝しているとのことである。
 さて,尿からの蛋白回収には尿を濃縮して硫安塩析,エタノール沈澱,等電点沈殿などによるのが一般的だったが,年間1トンの尿処理にはとても対応できない。そもそも,のんびりと時間をかけて尿を濃縮したらEPOはてきめんに失活する。そこで当時本邦でも出回り始めたセファデックスG-50で尿を脱塩し,蛋白溶液にDEAEセルロースを添加・撹拌しEPOを吊り上げるバッチ法をとった。数多い失敗を繰り返したのち,吸着条件にNaH2PO4でpH 3.5,溶出にNa2HPO4でpH 8.7というDEAEセルロースとしては特異な条件に設定し,しかも透析時間をできるだけ短くした(Fig.2)。
 この溶出条件が結果的に初期段階での失活を防ぐことになり純化成功につながるが,当時は全く気付かなかった。純化成功後のこと,尿中シアリダーゼ活性のpH依存性を検討すると最大の酵素活性はpH 5.3にあり,上記の吸着,溶出の条件では酵素活性がほとんどないことが判明した。全く怪我の功名みたいなものだが,このおかげでわれわれの粗標品は,平均40~200U/mg蛋白という,当時の感覚では部分精製標品といえるほど高い比活性を持っていた(Table12)31)
 具体的には,乾燥重量1kgのG-50ゲルを水で膨潤後,直径15cm×55cmのカラムに充填し,1回当たり尿2.5lを脱塩処理した。G-50ゲルはビーズ状の担体で微細な孔があり,塩類はその細孔に入り寄り道するが,高分子の蛋白質は細孔に入れず担体の間をすり抜け短時間で溶出される。つまり,まず蛋白質が溶出された後に塩類が流れ出る。溶出液は当初は純水を作製して用いたが尿処理量に対応できず,試みに市水(水道水)を用いたところ活性回収に問題ないことがわかり,以後の作業効率が著しく改善した。

3.熊本での尿処理と精製実験
 尿処理は低温室で行った。患者さんたちが病棟の冷蔵庫に蓄尿してくれたものを毎朝回収し,まず濾紙で粗大沈殿物を除去する。1回当たり2.5lの尿をG-50脱塩カラムに展開し,蛋白溶出液4lを採取する。その後流水(水道水)で洗浄し,色素,塩類が洗い流され,きれいになったら次の2.5lを展開する。カラムから溶出されるほぼ無色透明の蛋白溶液にDEAEセルロースを入れpH 3.5に調整して30分撹拌し,EPOを吸着させる。これを1日4~5回繰り返して最後にガラスフィルターで吸引濾過してDEAEセルロースを回収,pH 8.7の溶液を加えてEPOを溶出する。最終的に一日分のEPOを含む全溶液を透析用チューブに入れて純水で透析を始める。翌朝と昼に純水を交換し,夕刻に凍結乾燥開始,翌日夕刻に出来上がりというパターンである。尿処理開始から凍結乾燥開始まで30~40時間程度で済み,原尿1lあたり蛋白約20mgを含む乾燥粉末(粗標品)として回収できる(Fig.2)。
 ただ,尿処理を繰り返すと塩類の沈着によりカラムが目詰まりし,流速が落ちてくると労働時間が極端に長くなる。尿処理が済まなければ帰れないので,早い話,帰宅は連日午前様になる。そのため定期的にゲルを新調するが,筆者の記憶によれば当時の価格で100g 1万円(現在の価格は4万円超),これを1kg,教室にとっては大変な費用であった。
 この粗標品をもとに精製に着手した。活性測定には手間のかからない飢餓ラット法15)を用いた(Fig.1)。ほぼ毎週50匹を超えるラットで活性を測定するので,実験の最盛期には年間3,000匹近いラットを消費した。粗標品中に残存するシアリダーゼのために,部分精製しては失活を繰り返すという試行錯誤の連続だった。筆者は毎年行われる動物慰霊祭の前には消費したラットの数を全て数え,研究室各員に報告し,皆で感謝しながら「実験動物之霊位」と書かれた位牌に線香をあげて合掌したものである。
 このころの実験室のある日の風景はこのようなものであった。
 河北「明日から夏休みを取ります」
 宮家「俺は盆・暮れも休まんのだ,元旦だけだ,休むのは!」
 河北「それは先生の勝手でしょ,僕は明日から家族を連れて遊びに行くことが決まってます。先生には許しをもらったじゃないですか。年中日曜日もないんだから。たまには家族サービスしないと離婚ですよ,りこん!
 宮家「……」
 1973~74年にかけて原尿約2トンを処理し総活性約300万Uの粗標品を調製した(Table1)33)。74年,その一部約500l分を用いて精製実験を行なった。ヒドロキシルアパタイトとセファデックスG-100を用い,蛋白の溶出曲線と活性分布がほぼ一致する精製標品1.2mgを得た。SDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)でほぼ3本の蛋白バンドを示すまでに精製し,15,000U/mgという当時として世界最高の比活性を達成した。当時は泳動用ゲルもすべて手作りで,染色・脱色による可視化までに1週間を要した(Fig.3)。この結果を中尾喜久自治医大学長(当時),高久文麿教授のもとで開かれた第4回International Conference on Erythropoiesisで発表したが,当時の設備ではそれ以上の進展は難しく,最終的に宮家は粗標品を携えてシカゴ大学Goldwasserのもとに留学することになった。
 Goldwasserは上記学会の紀要でEPO純化の見通しについて述べている34)。貧血ヒツジ血漿については現実的には極めて微量のEPOしか採れず,研究は行き詰っていた。血漿1mlあたり1Uという最高の条件で血漿を採取し,活性収量を10倍に上げたとしても,10mgの純化EPOを得るには1,000頭のヒツジが必要と述べている。また尿からの純化については,活性が高い標品を大量に入手するのは,恐らく日本以外では困難だろうとしている。その時期には既に宮家の留学は決まっており,彼の期待をうかがわせる文章である。

純化の成功

 74年クリスマス当日シカゴに到着した宮家は,その翌日から76年8月帰国するまで,今度はそれこそ元旦も休まず精製に取り組んだ。留学すれば少しなりともアメリカを見聞して,小旅行の一つもするのが普通だが,1年8ヵ月の間,ひたすら実験室とアパートの往復のみだったというのが彼の自慢(?)である。
 当初Goldwasserは当初宮家が持参した尿由来の粗標品について,熊本での活性測定を全く信用していなかった。Kumamoto, where? Miyake, who? である。シカゴに到着した宮家はその夜をGoldwasserの自宅で過ごすことになったが,宮家が持参した当時の感覚では「天文学的に膨大な」原材料を,何と彼の自宅の中に持ち込むのを拒否したのである。宮家は持ち込めないなら直ちに帰国すると強硬に抗議した結果,ようやく認めてくれた。今にして思えばGoldwasserの反応も,尿由来の標品が軒並み極めて低い比活性しかなかった当時としては当然かもしれない。
 宮家が渡米する時に何やら不審な粉(凍結乾末)を携えた,満足に英語も話せないジャパニーズが税関を通過できるか非常に危惧した筆者は,税関に提出する書類をGoldwasserに依頼した。彼は直ぐに対応して書類を送ってくれたが,「この粉末にはごく微量のEPO(very small amount of EPO)が含まれる」と記載されており,ごく微量とはなんだと思った事を覚えている。
 ところが,彼らの実験室で彼らが信じるところの多血マウス法により測定してみると,われわれが熊本で計算した値をかなり上回るという,彼らには信じ難い結果が出たのである。熊本での活性測定では,結果を出来るだけ低く見積もるようにしていたためであろう。その瞬間にGoldwasserの眼の色が変ったと宮家は回想している。われわれの粗標品はその量の多さも含め,当時の彼らの常識をはるかに超えたレベルにあったのだろう。
 研究室を挙げた精製が始まり,最終的に宮家は患者尿2.5トン分の尿抽出物から精製度930倍,活性収量21%で,シアル酸含量16%,分子量34,000,平均比活性70,400U/mg蛋白という高活性の純化標品,約10mgを得て77年に発表した1)。精製作業は活性測定を除き全て宮家が一人で行った。第一段階の尿の脱塩・蛋白抽出過程を加えると,8段階の非常に複雑な過程であった(Table3Fig.4)。純化の成功は原材料が膨大だったことが最大の要因だが,加えて宮家の前に東京大学第三内科からGoldwasserのもとに留学した千葉省三博士(故人)35)が開発したフェノール処理によるところが大きい。精製初期にこの処理を加えた結果シアリダーゼ活性を除くことができ,以後の精製段階でのEPOの安定性が飛躍的に向上した。もちろん,Goldwasserが20年以上にわたって燃やし続けたEPO純化へのあくなき執念と,彼が築き上げたEPO純化のための最高の研究室とそのスタッフがなければ,宮家の成功もなかったことは論を待たない。1977年に報告されたPurification of human erythropoietin. J Biol Chem1)は,今でも血液学におけるマイルストーンの論文と評価されている。
 当時を物語る宮家の実験ノートは今でも見ることができる。当時のシカゴ大学の実験ノートの6mmマス目罫に沿って,細かな字体で時刻の経過も含めてびっしりと詳細に記入された純化の最終過程は,1976年6月30日午前9時50分に始まり7月3日の正午に終了している。連日夜遅くまでかけて総数150本の試験管に分画し,それぞれの蛋白量の測定を一本ずつ全て手作業で行った4日がかりの実験である。根気とやる気が必要なのは当然だが,宮家ノートの驚嘆すべきところは,どの部分でもその詳細な記載の通りに追試が可能なことである。筆者も彼の実験の追試を数多く行ったが,同じ条件で行えば得られる結果が完璧に同じであることにいつも感服させられた。
 その後80年代には精製法も進歩し,高速液体クロマトグラフィーなどの発展で精製技術が飛躍的に向上した。しかし天然型EPOを常に均一な規格で膨大な患者に投与するのは,原材料の供給を考えれば不可能である。当然,遺伝子工学による大量生産が待ち望まれたが,実現には宮家の成功から8年を要することになる。

EPO遺伝子のクローニングと大量生産の幕開け

 76年に得た10mgの純化EPOのすべてをシカゴ(Goldwasser)に残して宮家は帰国した。ところが彼が宮家に約束した一次構造の決定はなかなか進まないまま,80年代になると遺伝子工学が急速な進歩を遂げ始めた。その時代の流れの中で,Genetic Institute (GI)社とわれわれ2),AMgen社とGoldwasserら3)は1985年ほぼ同じ方法でヒトEPO遺伝子をクローニングした。両グループともに,熊本グループが調製して宮家が純化した尿由来EPOから出発した。しかし両者はまったく独立した研究である。
 84年当時,二度目の渡米でオハイオ州デイトンにいた宮家は,GI社から純化EPOの提供を依頼された。宮家の依頼でわれわれは熊本で調製した再不貧尿粗標品を宮家に送付し,彼は約2ヵ月でEPOを純化した。これほどの短期間での純化は,当時東京女子医大溝口秀昭教授の教室から留学していた清水智江医師の協力がなければ不可能であった。GI社はこれからアミノ酸の部分配列を決定して,胎児肝細胞mRNAのcDNAライブラリーから遺伝子をクローニングした。一方Amgen社は,Goldwasserから宮家がシカゴで純化したEPOの供与を受け,ヒトゲノムDNAライブラリーを用いてクローニングに成功し,いよいよ臨床応用への道がひらけた。
 EPOの活性発現には糖鎖の付加が必須なので,遺伝子を導入する細胞は哺乳類由来のものが必要である。大腸菌や酵母では糖鎖を付加できない。そこで両社ともチャイニーズハムスターの卵巣細胞(CHO細胞)を用いた結果,完全な糖鎖をもつEPO分子の大量生産が可能となった。宮家が2.5トン分の粗標品から10mgのEPOを得るのに2年近くを要したが,遺伝子導入細胞を用いれば培養開始から2ヵ月以内に10g以上の純化EPOを手にする事が出来る時代となったのである。
 EPOは165個のアミノ酸からなる分子量18,000のペプチド部分と,それに結合した4本の糖鎖からなる。糖鎖部分を加えた分子量は34,000で,糖鎖は分子量の40%にもおよび,ペプチド部分を糖鎖がすっぽりとくるみ込んだ形態をしていると考えられる。これが100℃で煮沸しても失活しないという極端な熱抵抗性の一因であろう。

臨床治験の開始

 組み換え型EPOの臨床応用は85年欧米で,翌年には本邦でまずキリンビール・Amgen,続いて中外製薬・GIグループにより始められた。初めて治験の結果が報告されたのは,87年のNew England Journal of Medicineであった36)。EPO製剤の投与でいきなり網赤血球が増え,続いてHtが直線的に上昇し,毎月受けていた4単位の赤血球輸血が必要なくなったという劇的な効果が確認された。腎性貧血の原因にはEPO産生障害のほかに,当時uremic toxinと呼ばれた造血阻害物質(現在もその本態は不明なまま)が蓄積しているので,EPOはさほどの効果はないとの論議があり,真偽は不明ながらわれわれにも若干その危惧はあった。しかし臨床治験の結果は劇的で,ほぼ100%の症例に有効という,予想を上回るものでその感激は忘れられない。当時治験に当たった担当者が「数十年薬剤の治験を担当してきたが,統計処理をする必要はないと思った薬剤は初めてだ」と述懐したことを思い出す。もちろんしっかりとした統計処理がそれぞれの治験組織でなされたのは当然である。何よりも厚労省が治験終了後に実薬投与群のみならず,偽薬群を含めた治験参加の全ての患者に対して「人道上の見地から」と実薬投与を保険収載まで継続して認めたことがEPOの全てを物語っている。

終わりに

 患者さんの「オシッコ」をどれだけ処理したのだろう? 20トンかな? きっとそれ以上であろう。当時,尿を提供してくれた患者さんの幾人かは高齢ながらご存命で私(河北)の外来に顔を見せてくれる。「冷蔵庫にオシッコを貯めましたよね。そこからなんとかポエチンが採れたんですよね」,「そうです,あなたがたのおかげで成功しました,ありがとう」というような話を幾度となく繰り返してきた。くる日もくる日も嫌がらずに冷蔵庫に蓄尿してくれた患者さんに感謝するとともに,本当の功労者は彼らかなと思う前期高齢者の私である。
 近年はペグ化やシアル酸付加により血中半減期を延ばした次世代品ともいうべき製品も使われる時代となり,第一世代のEPOが日常臨床に登場したのは20年以上も昔の話になった。最近では,多くの透析患者が赤血球輸血を繰り返すことによる鉄過剰症に苦しんでいたことなど知らない透析医が増えたとも聞く。当時ともに研究を行った仲間にも鬼籍に入った方々が増えている。千葉省三博士もそうであるが,特筆すべきはGoldwasser博士が2010年12月前立腺癌のため88歳で逝去されたことであろう。20年以上癌と共に生き,最終的に腎不全となったが透析はしないと選択された37)。心よりご冥福を祈りたい。
 以下の共同研究者に感謝しつつ本稿を終えたい。金子文秀(故人),田尻宗誠,上田恵一,榎本勝人,藤本幸示(故人),坂口 守(故人),米村雄士,増田哲哉,宮家宏定,中川和巳,清水智江,河北靖夫(故人),松原高賢(故人),松下淳一,渋谷和史,小石原保夫,吉野 武,松橋 学,川口 勉,岸本 進前熊本大教授(大阪大学名誉教授),高月 清熊本大学名誉教授。

文  献

1)Miyake T, Kung CK, Goldwasser E. Purification of human erythropoietin. J Biol Chem. 1977; 252: 5558-5564.
2)Jacobs K, Shoemaker C, Rudersdorf R, et al. Isolation and characterization of genomic and cDNA clones of human erythropoietin. Nature. 1985; 313: 806-810.
3)Lin FK, Suggs S, Lin CH, et al. Cloning and expression of the human erythropoietin gene. Proc Natl Acad Sci USA. 1985; 82: 7580-7584.
4)Erslev AJ. Blood and mountains. In: Wintrobe MM, ed. Blood, pure and eloquent. New York, McGraw-Hill; 1980: 257-280.
5)Reissmann KR. Studies on the mechanism of erythropoietic stimulation in parabiotic rats during hypoxia. Blood. 1950; 5: 372-380.
6)Erslev A. Humoral regulation of red cell production. Blood. 1953; 8: 349-357.
7)Jacobson LO, Goldwasser E, Fried W, Plzak L. Role of the kidney in erythropoiesis. Nature. 1957; 179: 633-634.
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