演題情報

教育講演

開催回
第62回・2017年・横浜
 

生きる権利と死ぬ権利

演題番号 : EL-03

大平 整爾:1

1:札幌北クリニック外科

 

いかなる状態にある生命をも尊重してその維持を試みる「生命の神聖SOL」主義が長く医療界の主流であったが,生命を維持するか否かは専らその生命体自身が感じる「生命の質QOL」に依拠し判断を下す主義へと近年移行してきている. しかし,様々な局面でSOL 主義とQOL 主義は凌ぎ合っている. ここで表舞台へ躍り出てくるのが「自己決定(権)・自意識」であるが,その能力保有者をどのように規定するかによって,生物としてはヒトでありながら人間としての人格と生存権を認められない者が多くなる. 人間には「生物学的生命」と「人格的生命(パーソン)」とがあると主張し「自意識と合理的思考能力を有するパーソン」にのみ生存権を認めるとする「パーソン論」は,私共のごく常識的な道徳感情に反する. 二種の生命を容認しつつ,「社会的な意味での人格」にも生存権を付与したい. かくすれば,新生児・幼児・精神障害者・認知症患者などにも生存権は保障される. つまり,ひとは「他者との関係の中」で生きられるのだと認識したい. 誕生以来一定期間,自我を有してきた者には,自己の意識を言動・文章(事前指示書など)に托すことができ,自己決定権は「生きること」にも「死ぬこと」にも道を拓く可能性を秘めている.「 生きるに値しない命」だとして,生命体自身による死の選択が許されるかと言えば,世界には積極的安楽死・消極的安楽死・医師による死への幇助などが,厳しい条件があるとは言え,法的に既に容認されている. この死に関する法律は例えば「消費税法」とは異なり,これらに従う義務がない点で特異的とは言えよう. これらの法律のない国々のある種の団体は「死の権利協会世界連合」に加盟して,死の権利を得ようとしている(日本では尊厳死協会). 現在広く行われている救急救命および終末期医療・ケアのあり方を巡って,死の権利少なくとも消極的安楽死を法的に容認する動きは世界中を席巻しているきらいがある. 自意識を生来有していない者や疾病によってそれを永続的に失った者は他者との関係において生存権があると論じたが,このグループの人々の死をいわゆるパーソンが考量し断定していいものなのか. 生を断念せざるを得ない状況はないとは言い難い.

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